近況報告
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長い間、サイトの更新ができずにいました。
この数ヶ月の間、色々なことがあって、いったいどこから何を話していいのか、
正直まだよくわからないような状態ですが、更新を再開するにあたって、
この間をどんな風に過ごしていたか記しておこうと思います。


ダイアリに日々の出来事として何気なく書いたことがありましたが
夫のPさんは、ここ数年仕事が忙しく、
とてもハードなスケジュールで毎日を過ごしていました。
時は遡りますが、昨年の1月から年度末にかけての仕事量にいたっては、
「多い」などという生半可なものではなく、
休日をすべて返上してもなお、こなすことができず、
週の半分以上を会社に泊り込んで働き、朝方の数時間を仮眠に当てる他、
仕事を消化する方法がないくらいまでになっていました。

わたしはそんなPさんが心配で、折をみては少し休んだ方がいいと話してはいましたが、
仕事があるからどうしようもないと疲労のたまった顔をして、彼は出社し続けました。
どうしてそこまで・・・と彼や会社に理不尽な思いを抱いてしまう一方で、
Pさんを理解し、協力してあげなくてはいけないと自分の心に言い聞かす日々。
「過労死」「自殺」という言葉が、毎日毎日、わたしの頭の中をぐるぐると
駆け巡っていました。

そんな生活が3ヶ月近く続いた頃、
ときどき帰ってくるPさんの顔に笑顔がほとんどみられなくなり、
話しをしていても表情があまり変わらなくなっていることに気が付きました。
感情が表に出てこなくなっていることに、何か差し迫るような危機感を感じたわたしは、
思い切って仕事をやめて欲しいとPさんに切り出しました。
もちろん我が家にはふたりの間に生まれた大切な娘がいますので、
これから教育にお金も必要になってくるでしょうし、
自宅購入にあたっては人並みのローンも抱えていました。
ただわたしにはわたしの家族や家庭を守る義務があるというか、
大切な家族だから、万が一にも失いたくはないし
大切な人だから、人間らしく感情豊かに暮らして欲しいと
心から願っての真剣な訴えでした。

「でも仕事が・・・」と始めは退職など考えられない様子だったPさんでしたが、
Pさんのお母さんとふたりがかりで説得を重ね、2カ月後、退職することとなりました。

仕事をやめてからしばらく、疲れきっていた心身を休めていたPさんですが、
昨年の夏、本格的に再就職に向けて活動を始めました。
活動を始めてすぐ、Pさんの仕事というのが少々専門的なものであったため
求人の少なさがひとつのネックになることがわかりました。
希望する会社の求人をじっと待つだけでは、
いったいいつ就職できるのかまったく目途が立たない上、
その求人に対して応募する人の数の多さたるや・・・
倍率が百を超えることはざらでした。
越えなくてはならない現実の高い壁の前で呆然と立ち尽くし、
どうしたものか・・と考えているうちに、
我が家の将来までも悲観的に思えてきて
夫婦で落ち込んでしまうなんていうことも時にありました。

就職活動はPさんが本当に希望している会社以外のところにも
書類を送ったり・・と悪戦苦闘したりもしましたが、
失業保険の手当ても今月が最後という昨年12月、
とうとう彼が1番勤めたかった会社の最終試験(なんと4次)に
パスし再就職が決まりました。仕事を辞めてから7ヶ月、
それぞれの両親達にも支えてもらいながらの生活でした。

そこから幾日も経たぬうちに、配属先の通達があり、引越しが決まりました。
住み慣れた土地を離れ、見ず知らずの町へ移ることを実感する間もなく、
あわただしく引越しの準備が始まり、暮れもさし迫った昨年の12月28日、
Pさんのお母さんに見送られ神戸をたちました。

千葉県に来てからのわたしは、Pさんの就職活動中に抱えていた様々な不安や
気負いがクリアーされ、ほっと一安心したかのように思えましたが、
長く続いていた緊張の糸が切れたことと引越しの疲れが重なり、
ひどい風邪をいた上に胃腸の調子を大きく崩してしまって
年の初めからしばらく寝込むことになってしまいました。
そして長引いた風邪の症状が治りかけてきた頃、
わたしの心に暗闇が突然かぶさってきたのです。

たくさんの友達に職場、母のお墓、心地のよかった自分達の家、
かかりつけのお医者さんに公園に銀行にスーパー。
わたし達を取り巻いていたすべてのもの。
大切に思っていたものがたくさんたくさんあったのに・・・。
この見知らぬ土地で娘が急に熱を出したら、
いったいどこのお医者さまに診てもらえばいいんだろう?
身体に安心な食材はどこで買えるんだろう?
徹夜で並んで入園が決まっていた娘の幼稚園の代わりはいったい?
気持ちの整理をつけられぬまま、引越しをしてきてしまったからか
不安や悲しみが次々と込み上げ、急速なスピードで気持ちが
ふさぎこんでいってしまいました。

「もっと強くならなくては。」
「引越しくらいでへこたれてどうする!」
「今までだって色んな経験してきたじゃない・・
要は気持ちの問題なんだから、もっと、しっかり!」
思えば、自分を奮い立たそうと心に負担をかけ過ぎてしまったことが
想像以上に自身を追い詰めてしまったようで、
しばらくすると手や足に力が入らなくなってしまったような
不思議な感覚を覚えるようになり、そのことが気持ちが更に不安にさせていきました。
そしてまたしばらくすると朝起きるのがつらくなってきて、一日中お布団を敷いたまま
寝たり起きたりの日々を過ごすようになってしまったのです。

そんな中、この春、娘が幼稚園に入園しました。
3月の末に3歳の誕生日を向かえ、
誕生日ムードも覚めやらぬまま入園した感じで、
母親としてはいささかの不安を抱えながら
幼稚園へいかせたわけなのですが、
わたしと一緒にこのまま家の中にこもった生活を
送らせることだけはどうしてもしたくありませんでした。
わたしがたくさんの友達と別れたと同様、
娘も生まれて初めてできた大切な友達と別れ、
公園でわたしとふたりきりで淋しく遊ぶ日々を送っていました。
やっとの思いで決めた幼稚園の入園でした。

娘の幼稚園生活は、初日から大粒の涙を流して登園し、
家に帰ってくるまでずーっと泣きっぱなしという、少しつらい始まりでした。
そして、わたしはわたしで、彼女を見送り一人になった家の中で、
泣きながらでもがんばって幼稚園へ行くように
娘を諭している自分自身はいったい何をしているのだろうか・・と
自らに強く問いかけ始めていました。

子どものとき父がよくこう言っていました。
「人間、歯を食いしばってでも、がんばらなきゃいけないときってあるんだよ。」
この数ヶ月、幾度となく、繰り返し唱えてきた言葉でしたが、
ここに越してきて半年が経った今、ようやく思えたのです。
今ここでこの環境を乗り越えなくては、わたし、本当にだめになってしまう・・・と。

自分の人生は自分で作っていくもの。
今の生活がつらくて苦しいと思うのは、わたし自身のせいなんだ。
真っ暗だよー、何も見えないよー、と嘆き悲しんでいるその目を
覆っていた自らの手を、今、やっと自分自身で解こうと動き始めています。

気が付けばもう7月も終わりに近づいています。
HPの更新をお休みしているこの半年間にお便りをお送りくださった
多くの方々に心から感謝しています。
心配をおかけしてしまったこと、そしてお返事をお送りできなかったこと
心よりお詫びいたします。本当に申し訳ありませんでした。
ゆっくり、そして少しずつですが、お返事をお返ししていきたいと思っていますので
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ここまで長い道をたどってしまった気はしますが、
人生を自らの足でまた一歩ずつ、前に進んでいきたいという願いとともに
皆さまへの感謝の気持ちを込めて。
2007 / 8



































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